ひとめぼれ

2012年1月19日

みなさんは「ひとめぼれ」というものをしたことがあるでしょうか?

もうそんな言葉は死語になり、ひとめぼれといえばお米の名前だと

勘違いしている若い人もいるかもしれません。

それに人間というのは年をとるうちに鈍感になりますから、

ドキっとしてもそれがなんだかわからない。

あれ?なんだろう。この気持ち、と思っていても的確に分からず

そのうち忘れてしまうことが多い。

「ひとめぼれ」というのは、奇跡です。

ひとめぼれは、あふれるほどのイノセントな気持ちと

どこから沸いてくるかわからないものに突き動かされることなんです。

しかしそれを感じる能力をもち、じぶんの中で大切にしなければ、

意味なく消えて行くあわのようなものです。

人生でそんな「ひとめぼれ」というドラマに出会えた人は幸運です。

ところで、ここにひとめぼれをしただけでなく、その後勇気を持って

自分からデートを申し込んだことがある人はいらっしゃるでしょうか?

もちろんひとめぼれというのは、「一目で惚れる」ことですから、

相手のことをあまり知りません。

そのあまり知らない相手に、声をかけれる勇敢な人は何人いるでしょうか?

そしてさらに、その後、運良く相手が承諾してくれてデートの運びとなる

幸運な人は何人いるでしょうか?

そしてさらにさらに、その人が自分が思った通りのステキな人で、

そのデートがとてもすばらしかったといえる人は何人いるでしょう。

わたしは、それは全人口の3パーセントくらいではないかと

考えています。

ここで告白しましょう。

わたしは3年前の寒い冬の夜、

その「ひとめぼれ」を体験したたぐいまれなラッキーな人間です。

その人はわたしの展覧会に来てくれて、その日たった10分ほど

立ち話をした程度の人でした。

なにか分からないけど、もっと話がしてみたいと思った私は

なにげにお酒をすすめました。

(そこは、赤々舎というお酒が飲めるギャラリーです。)

「車で来ているから」とあっさり断られましたが、

すかさず、「え?車?どこからですか?」と切り込み、

「ほうほうー、そんな遠くからですか。よかったら

ぜひ、芳名帳にアドレスを書いて行ってください」

と、書いてもらった、その時です。

その人の美しい字とそれを書く姿を見て、わたしははっきり確信しました。

これはひとめぼれなのだと。

そのはじめての気持ちをどうしていいかわからず、思いきって

その晩の飲み会でわたしは写真家の殿村任香先輩に相談しました。

すると、

「プチポカさん、アンタここでしっかり女になりぃーや。

いっぱつ告白したってや!やらんといかんでしょうー。

うまくいったら電話してや。合い言葉は「キョーザ」やで〜」

と完璧でほれぼれする関西弁でアドバイスを受けました。

(いまだになぜ合い言葉がギョーザなのか分かりませんが、)

そしてそのアドバイスにしたがって、わたしはその夜その人にさっそく

メールを出しました。

しかも、わたしは初めてのメールで「こんどお茶しませんか」

などという曖昧なことばでなく、

「あと1週間のうちにわたしとデートしてくれませんか」

という脅迫のような告白をしたのです。

わたしはたぐいまれな暑い、熱い人間です。

あと一週間の命だ、、そんな切羽詰まった感があらわです。

お相手もさぞかし驚かれたでしょう。

。。。

その後どうなったかと言いますと、わたしはその人と

初々しい静かなお正月デートをすることができました。

明治神宮に行って、おみくじひいて、六本木まで歩いて

ごはんを食べてたくさん話をして帰りました。

わたしよりもずいぶん年下なのに、きちんとはなしができるし、

感覚のいい、頭のいい人なんだなという印象。

わたしの突然、かつ強引な申し込みに気持ちよく答えてくれたその人に

とても感謝しました。

それはアメリカに旅立つ1週間前の出来事でした。


その後もこの一度きりのデートの思い出が、今でも私をうす桃色の

気分にさせやさしい気持ちにさせます。

そしてその人からたまにもらうメールにいつも静かな元気と勇気を

もらいます。

あわい。それがとてもいい。

こういうのは、とても特別です。

で、何が言いたいかと言いますと、

みなさんもどうかひとめぼれをしてみてください。

恥をかきすてて!

ひとめぼれという奇跡にむかって、チャレンジしてみてください!

それはのちにあっけなく玉砕すること間違いないでしょう。

しかしそれは「生きている」という熱い気持ちを思い出さ

せてくれる大切な経験となります。

まずなによりそんな一生懸命で無謀な自分がとても

いとおしく思えてくるはずです。

自分のことが、とてもいとおしくかわいいと思えたとき

人間はやっと前に進むことができるのではないか、とわたしは

考えます。

「恋せずば人は心もなからまし物のあわれもこれよりぞ知る」

(藤原俊成)


そういうわけでずいぶん遅れましたが、この場をかりて殿村先輩に

お礼を申し上げます。「ギョーザーーーー!!」

Happy New Year!

2012年1月10日

自分の2011年を振り返ると反省ばかりである。

意志が弱くてなにも成し遂げられなかった な。

小さなことも自分を甘やかしてやり通せなかったな。

惰性の一年だったと反省をしながら大晦日を迎えた。

そこで、

意志を強くするために、大晦日の朝買ったもの。

シューズ 89ドル

そして大晦日の夕方、突然手に入れたもの。

ゼッケン 55ドル Tシャツ付き



どっかーん!!

ニューイヤーズイブ ”ミッドナイトラン in  セントラルパーク!!”

日付が変わるとともに打ち上げられる花火を合図にスタートする

大晦日恒例の4マイルマラソン。

新年の決意をこめて、なんと(走ったこともないのに)

いきなり走りました〜


走ったことがないので4マイル(5キロ)がどれくらい大変なのか

検討もつかなかったが、ビリでもいいからとにかく走り抜こうと決意。

その日シューズを買ったばかり、一度も練習をしたことないのに、

だいじょうぶなんだろうかと、とても心配だったが

これは参加することに意義があるのだ。

記念マラソンなんだから。

でも、ふたを開けてみればそこには似たような人がいっぱい。

自分はビリじゃあないかもしれないという希望が!

なかにはこんな人も。

というか、こんな人ばかり。まるで仮装大会。

わたしもささやかに仮装して走ったが、

ささやかすぎてなにか分からない人もいるかもしれないので、

思いきって言うと、

これは「自由の女神」です。

途中でシャンパン(ノンアルコールだけど)も振るまわれたりもして

初詣のとき神社でもらうお屠蘇みたいな気分。


たった5キロをゆっくり一時間近くかけて走ったわけだが、

ゴールした時はやはりとても感動した。

大声援の中、よし、ニューヨークシティマラソンも夢じゃあない!!

と叫んで、自分に酔ってしまった。

ランナーズハイってほんとうにあるんですね〜。

走らないとわからないんですね〜。

この高揚感が人をランナーにさせるのだろう。

「走るのなんて体に悪い」と走ることをバカにしていた自分は

もう別人だった。

そして完走してもらった副賞がこれ。

ベーグルとアップル。

いかにもニューヨークらしい。

走ったあとこういう固いものを食べたい気分ではなかったが

まるいのと、赤いのともらうなんて縁起がいいじゃあないか!!

日本だったら、あま酒とお餅だろうなあ、、

もちろん湯気がのぼっている。いいなあ。

目をつむって遠い日本に思いを馳せた。

次の日は、全身筋肉痛でがたがたの体をひきずって、初日の出。

強烈な太陽の光を見たら、おみくじで大吉をひいたような気分になった。

毎朝これくらい早く起きて日の出を見るべきなのかもしれない。

昼にはものすごい自己流のお雑煮。

夜はいつもお世話になっている長倉さんちでおせちをごちそうになった。

おかげでさみしくなかった。

あたたかくて充実したお正月だった。

みんなが元気でいい一年になりますように。

今年もどうぞよろしくおねがいします。

年の瀬

2011年12月31日

日本ではこの時期「今年もたいへんお世話になりました」とか

「良いお年を」というフレーズを何度言い合うだろう。

実はわたしはこのセリフがあまり好きではない。

これを言うとき、なぜか胸がざわざわしてしまうから。

わたしはいつもこの気持ちをもてあましながらこれに返事する

のだった。

日本にいるとお正月前後はいろんなことで仰々しい気持ちになるのだが、

今年も日本にいないので師走のざわざわ感があまりない。

去年はそれにほっとすることもあったが、今年はなんだか

ムードがないと引き締まらないなあ思ってしまった。

この時期アメリカでいつもなにに感心するかと言えば、

ここには年の瀬が迫った感がなく、新年に対する緊張感がまったくないこと

である。みんな楽しいクリスマスホリデーに持っていかれて、

きのうも友達に「日曜日ヨガ行くの?」と聞かれた。

ヨガだってあいている。(でもわたしは1月1日からヨガには行く気はない)

来年の干支のだじゃれを考えることもなく、年賀状も書かず

帰省ラッシュの新幹線に乗ることもなく、ゆく年来る年を見て神妙な気分

になることもない。初詣にもいかない。

新年の目標を立てるのも忘れてしまいそう。

今年もそんな気合いの入らない年の瀬を迎えている。

と、なんだかいきなり日本の正月がとほうもなくなつかしくなって

ひとりでせっせとおせちのメニューをネットでリサーチしてしまった。

実家でお正月を過ごしたのは2年前だがそれがずいぶん昔のように感じる。

日本の正月らしい正月。おせち食べてこたつでごろごろしたくなった。

100%日本人の自分を確認。

離れているといっそうじぶんの中の日本を自覚するのかもしれない。

新しい年を迎えるのもまずは形から、というわけで

きょうはまるい餅を買いに行って、新年はお雑煮を作ろう!

明日はそばを食べながら、今年を振り返えろう!

そしてぎょうぎょうしく来年の抱負も考えたほうがいい!

初詣に行く人はどうかにわたしのぶんまでお願いします。

みなさん今年もたいへんお世話になりました。

来年も(明日も)どうぞよろしくお願いします。

藤岡亜弥

パンクロックと深夜食堂

2011年11月11日

10月のNYは美しい。

秋が深まって行く。

公園のベンチに座って世を眺めていたら、気分は100%松田聖子。

「秋色の汽車に乗って海へ連れていいてよーほかに人影もないよー」

と、声を出して歌ってみたら、情感がありあまって涙が出そうになった。

ぐっとこらえて、その瞬間、ホームシック気分マックス!

こんなとき、なにも考えないためには、歌いつづけるしかないよー。

そんな夜、ライブに誘われた。

それもパンクロック。

ハロウィンが近いせいもあって、ライブハウスはドラキュラのやかた風。

そしてパンクロックのボーカルは太ったドラキュラという感じだった。

革ジャン脱いでタトゥと大きなお腹を見せながら、血管が切れそうなほど

叫んでいた!そしてジャンプ!そして、転んだ。

デブで年寄りのパンクロッカーがいてもいいんだなあ。

あまりにもいっしょうけんめい好きなようにやっているので、感動した。

血と闇の叫び。そのロックンローラーは

かっこわるくてもいいじゃあないか!デブでなにがわるい!

自分が好きならいいじゃあないか!と叫んでいるのかもしれなかった。

命をふりしぼって生きている感が伝わってよかった。

ロックンロールも、たまにはよし。

それから家に帰って、ルームメイトと深夜食堂ごっこをした。

(最近はインターネットで日本のドラマにハマっていて、

日本のドラマを見ながら夕食が日常になりつつある)

気分はパンクからすっかり演歌。そして見よ。完璧な日本食。

日本のドラマなんてひさしぶり。

見終わったあと軽くほっこりしたので深い意味もなく、

いつか深夜食堂のような写真を撮りたいと言ったら

ルームメイトがえらい感動してくれた。

それはどんな写真かというと、

銀色のさんまの匂いがしそうな、赤いたこウインナーのような、

卵焼きの黄色のような、写真。

食べ物に思い出がつきまとうというのはなんだかいいよね。


トップページ更新しました。

2011年10月4日

1998年の冬にエストニアからヨーロッパの旅が始まった。

エストニアに降り立ったときのあの冬の銀河鉄道のような

感覚をわたしはまだ忘れていない。

一年半のあてのない旅だったが、それがのちに「さよならを教えて」という

写真集になった。

そして再びエストニアに降りたったのは2009年の夏だった。

10年ぶりの街。友達との再会。なんだかとても照れくさかった。

話したいことはいっぱいあったはずだけど、

お互い言葉にしなくてももう勝手に了解していて、

一緒に過ごすだけで十分だった。

10年の間に何が変わったのだろう。

エストニアの通貨はユーロになり、あれだけ仲良かった友達夫婦は離婚して

それぞれまた結婚して子供を作って別の家庭をつくっていた。

「いいねえ、あなたは全然変わらない」とうらやましがられたが、

(よくないよ!!)

二人は昔も幸せそうだったけど、いまもそれぞれ幸せそうだった。

そのふたつの家族にとても大切にされて、わたしも幸せだった。

「ここはあなたの家でもあるのよ」

と言われて不思議にほんとうにそんな気もした。

わたしにとって特別な場所。

長く静かにあたためられた友情、きずな、信頼。

その友達のお父さんはエストニアの有名な画家で、

10年ぶりにアトリエに行ったら、ちょうど絵画教室をやっていた。

いきなり「(こんな美しい)アジア人をエストニアで見るのはめずらしい。

エキセントリックなヌードを描く練習にもなるからモデルをやって

くれないか」と頼まれた。

エエ!そんなきゅうに!?!

でも、これはアートなんだから。

と言い聞かせ、わたしは一肌脱いであげることにした。

ここで恥ずかしがったら、女がすたりマス。

平静を装ってささっと服をぬいだら、なんかお父さんがやたらテンション

高くなって、「ムードがある!ムードがある!」とうれしそうに連発した。

そのときに私はハっと気づいた。

わたしはお父さんの言った “エキセントリックなムード” を

“エキセントリックなヌード” と間違えて、勝手にヌードになって

しまったのだと。

「。。。」

いまさら服を着るわけにはいかない。

でも、まさか頼んでもないのに脱ぐと思わなかっただろうから

みんなびっくりしただろうなあ。

そこからわたしは3時間裸のまま不動だった。

生徒さんたちが上手にムードのあるわたしを描いてくれてうれしかった。

そしてなぜかみんなが絵にサインをしてほしいというので、

なんだかよくわからないけど、サインしてあげました。

「藤岡亜弥。。。」

そう言うわけで、初ヌードモデルの思い出写真もふくめ

トップページを更新しました。 30枚のスライドショー。

夏のエストニアのシリーズです。

藤岡亜弥ホームページ

http://www.ayafujioka.com/